モテメイクにモテファッション。モテヘアーにモテ料理にモテ資格・・
いま、時代は「モテ」に満ちている。
こうすればモテる、ああすればもっとモテる。
なぜ人はこうもモテたいのか。
かく言う記者も、少しモテたい。いや出来るならいっそ激しくモテてみたい。
この世には、寝ても覚めても、まるで年中無休のようにモテている人もいるのだろう。
そう思うだけで、嗚呼、うらやましいうらめしい。
しかし、そんな御同輩もご安心を。
この世には「モテ期」なるものが存在する。いや、するらしいのだ。
思えばここ数年、言葉として一般化し、日常会話で人々の口の端に上ることも多くなっている「モテ期」。
折しも、そのものずばりの「モテキ」というタイトルの漫画が人気を呼び、ドラマ化される事態にまで至っている。
気付かないうちに私たちの頭と心の片隅にポジションを獲得していた「モテ期」。
どんな人の人生にも3度訪れると、まことしやかに語られているが、それは果たして事実なのだろうか?
ちなみに記者自身の過去をざっくり振り返ると・・
モテ期があったといえばあったような気もするし、なかったと言えばまるでなかったような気もする。ていうかその前に、そもそもモテ期とは何なのか?
世の人々は何をもってモテ期と称しているのか。
そして皆さん、本当にモテ期の到来を実感しているのか?
そんなモテ期にまつわる数々の疑問を解決するべく、取材班は街へ出た。
題して、
『 街頭実録調査シリーズ(予定)第1弾 "モテ期は実在する!?" 』
モテ期の謎に迫る
調査にご協力いただいたのは、街で出会った男性10人と女性10人の計20人の方々。
モテ期について、それぞれ以下のような質問を投げかけた。
◆これまでの人生にモテ期はあった?
◆あればそれは何歳ごろで、何回? また、どんな状態?
◆いわゆる「3回説」についてはどう思う?
◆モテ期になるのは、運や周期などのせい?それとも、自分自身の努力や力量?
その結果、まず「モテ期はあった」という方は20人中12人に達した。(男性5人、女性7人)サンプル数としては多くないものの、半数以上の方がモテ期を実感していることが判明。
インタビューをした側の実感としても、皆さん予想以上にモテているようだ。
特に女性は、モテ期の存在を非常に好意的に受け止めている方が目立ち、こちらのぶしつけな質問に対して少しはにかみながらも堂々と、「わがモテ期かくありなん」を語ってくれた。
中でも印象に残ったのは、母親とその娘2人の女性3人組。
「お父さんと出会った時も、ボーイフレンドは別にいたのよ」
母親の口から次々と飛び出す衝撃の事実に、娘さんたちはそろって口をあんぐり・・
していた。
一方、男性の反応は二極化。
「モテ期について調べているのですが・・」と尋ねた瞬間に顔をそむけ逃げるように立ち去るか、「俺?モテるに決まってるじゃん」という自信満々の口ぶりで自らのモテ遍歴を明らかにしてくれる方、のどちらかに分かれるようだ。
中には、「物心ついた時からずーっとモテ期」という猛者も。
うーん、やはりこんな人もいるのか・・
さらに、「モテ期3回説」についても、「モテ期があった」という方とほぼ同数の方が賛同。
「モテ期になるのはどうしてか」については、女性は周期や運を意識している方が多かったのに対し、男性は「自分が輝いていたとき」や「仕事に夢中になっていたとき」など、むしろ異性を意識していない時にモテ期が来たと感じている方が多いことが分かった。
また、インタビューしたほとんどの方が「モテ期」という言葉をご存知だったということも付言しておこう。言葉として着実に普及していると言えそうだ。
'婚'難な時代とモテ期
さて、ではこの「モテ期」という言葉、一体なぜここまで一般化したのだろうか。
記者の記憶では、少なくとも10年ほど前には存在しなかったはずである。
モテ期同様、今どきの男女関係を象徴する言葉で近年急速に普及したものに「婚活」や「草食系男子」があるが、この2つはいわゆる"言いだしっぺ"が特定されている。
それに対しモテ期は、一体いつ誰が言い始めた言葉なのか、定かではない。記者も調べてみたが、判然としなかった。
仮に自然発生的に登場した言葉だとするなら、この急速な普及ぶりはどうだろう。
それだけ、モテ期も婚活や草食系に負けず劣らず、時代のニーズにマッチした言葉といえそうだ。
思えば、婚活という言葉がヒットしたのは、晩婚化が進み、男も女も人生のパートナーと呼べる異性と出会うことが容易ではなくなった時代背景がある。
草食系男子も、そんな'婚'難な時代の一面を映し出す言葉だろう。
ただ、婚活や草食系という言葉がこれほどまでに人々に受け入れられたのは、単に時代を語り描写するのに適した言葉である以上に、それらを使うことによって人々が得られる"メリット"も大きいからではないだろうか。
つまり、婚活という言葉を存在させることによって、「結婚は、活動によって達成されるもの」というひとつの認識が生まれる。逆にいえば、婚活しなければ結婚はできない、ひいては、婚活しなければ結婚できなくても仕方ない、という認識も同時に生まれる。就活しなければ就職できないのと同じ理屈だ。
これは、結婚していない、あるいはできない男女にとって朗報に違いない。
積極的に婚活をしていなければ、結婚できなくても当たり前、別に恥ずかしいことでも、劣っていることでもなんでもないという、心の安寧を得られるからだ。
草食系しかり。「俺、草食系だから」「最近の男性は草食系だから」
これだけで、結婚しない、結婚できないことへの精神的免罪符がもたらされる効果がある。
みんな、傷つくのが怖いし、傷つきたくない時代なのだ。
「モテ期」も同様にとらえることはできないだろうか。
モテ期という言葉を存在させることによって、「モテるかモテないかは、自分がコントロールできるものではない」という認識・捉え方が成立する。
周期か運か、あるいはそれ以外のものか、理由や原因は分からないが、とにかくモテるかどうかは自分や自分の努力とは関係ない、すべてこの「モテ期」なるものが来るか来ないかというだけのことである、と。
モテなくても、それは僕のせいでも、あたしのせいでもない・・
モテ期と財政赤字(?)
話はそれるが、ついこの前の参議院選挙では、消費税の増税問題がひとつの争点となった。膨らみに膨らんだ財政赤字をどうにかしなくてはいけないという。
それはそうだろう。その点においては誰も異論はなさそうだ。
しかし、財政赤字をそこまで膨らませたのは、一体だれか。またそれを放置してきたのは、一体だれなのか。政治家か、官僚か、それとも自民党か。
行政の無駄をあぶりだし、糾弾する事業仕分けは、確かに見ていて気持ちがいい。
仕分ける側と仕分けられる側、とても分かりやすい勧善懲悪劇だ。
でもよく見ると、その「仕分け劇場」に登場している人々は、みんな私たち国民の一部に他ならない。蓮舫氏しかり、役人しかりだ。
そう見れば、巨額の財政赤字や悪名高い官僚の天下りを放置し黙認してきたのも、私たち国民だといえる。
赤字や重い社会保障負担を次の世代に押し付ける「世代間の不公平」というキーワードが最近よく語られるが、まさに戦後60年以上かけて、日本は壮大な無責任社会、責任転嫁社会を作り上げたともいえるかもしれない。
そしてついに、男女の恋愛にまつわる諸事情までも、何か自分以外の他のものに責任転嫁しようとしている・・
責任回避社会の果てに登場したのが、この「モテ期」と言う言葉である。
そんな推論は飛躍が過ぎるか。皆さんはどうお感じだろうか。
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