人事ではない「経済学」
「経済学」というと、どこか自分とは関係の無い響きがしてしまうのは私だけではないだろう。なんとなく、難しそうで堅苦しそうな「経済学」。しかし、私たちの生活とは切っても切り離せないものだ。決して、〇〇大学の□□教授だけの話ではない。
『スタバではグランデを買え! 価格と生活の経済学』(2007年9月ダイヤモンド社)という書籍をご存じだろうか。経済学者の吉本佳生氏の著書で、身近な例を挙げながら、私たちの生活に密着した経済の実態を探ったものだ。
導入部分で語られるのは、500mlのお茶の値段。スーパーの特売で買えば88円、コンビニでは147円、自動販売機では150円...と、同じ商品にも関わらず値段が異なるのはなぜかという問題提起から始まる。
値段の高い自動販売機はやがて淘汰され、スーパーと同じ88円で販売するといった事態が起こるのだろうか。しかし、日本には500万台を超える自動販売機が存在し、今日も元気に(?)営業している。これは一体なぜだろう。
ここで鍵となるのが「モノの値段はモノ自体の価値だけで決まるのではない」ということだ。換言すれば、消費者は対価を支払うことによって、モノそのものと「サービス」を受け取るのだ。
例えば、自宅のすぐ前にある自動販売機で150円のお茶を買うのか、徒歩10分のところにあるスーパーで88円のお茶を買うのか。どちらを選ぶのかは人それぞれだろう。自動販売機の150円のお茶には、スーパーまで歩かなくていいという「サービス」が含まれていると考えられる。
つまり、私たちはモノの価値だけでなく、それを手に入れるまでの労力や時間なども考慮に入れた上で消費行動をしているのだ。吉本氏はこの労力や時間などを「取引コスト」と呼び、私たちの生活と「取引コスト」の関係を述べている。
記者はよくコンビニで売られている約100円の紙パック飲料をよく利用する。考えて見れば、家で自分で淹れたお茶を水筒に入れて持ち歩けば原材料費はほぼ0円になる。しかし、それをしないのはなぜか。お茶を淹れる作業、水筒を持ち運ぶという作業、水筒を洗う作業に労力や時間がかかるからだ。コンビニの紙パック飲料に支払っている100円は、上述した作業にかかる「取引コスト」を節約してくれることも含めた対価である。こう考えてみると、私たち消費者は自分が負担する(金銭、時間、労力などを含めた)コストに見合った商品を選んでいるのではないだろうか。
スタバでのお得なコーヒーの飲み方
本当にお得な商品を選びとるためには、その商品の成り立ちを知らなくてはならない。
『スタバではグランデを買え! 価格と生活の経済学』では、スターバックスコーヒーでS(ショート、240cc)とG(グランデ、480cc)を買うとどちらがお得か、という思考実験がなされている。
それによると、GサイズはSサイズの2倍の容量があり、あるメニューでSサイズが280円ならGサイズは380円、Sサイズが300円ならGサイズは400円...と、GサイズはSサイズの100円増しの値段で提供されている。
さて、消費者が得をするためにはSサイズとGサイズのどちらを選択すればよいのか。また、店側はどちらを買ってもらえば得なのか。結論から言ってしまえば、消費者がGサイズを買うと消費者も店も得をするのだ。消費者も店も得をするというと、感覚的におかしいと感じる方もいるかも知れない。以下、同書に従ってそのメカニズムを説明しよう。
コーヒー1杯を提供するのにかかるコストは「原材料」「人件費」「場所代」「その他の水・光熱費など」の総和で表される。ただ、Sサイズを作るのとGサイズを作るので変わる数値は「原材料」のみなのである。
(実際にはSサイズを提供するのとGサイズを提供するのでは、人件費や水光熱費に違いが出るが、微々たる差なのでここでは無視できるとする)
よって、コーヒー1杯のコストは「原材料」によって決定される。Gサイズの容量はSサイズのそれの2倍あるのだから、原材料も2倍になる。しかし、(余程の高級品でない限り)原材料であるコーヒー豆はとても安く、スターバックスで使われている豆ではSサイズで5円〜10円程度。ミルクや砂糖などの添加物を考慮に入れても、Sサイズを作るのに原材料は20円〜40円である。ここでは、間をとって30円としよう。よって、Gサイズを作るのには60円かかることになる。
店からすると、30円だけコストが増えて売上が100円増えるのだから、Gサイズを買ってもらった方が利益が上がる。一方、消費者からすれば、Sサイズが280円であればSサイズは1.17円/cc、Gサイズは0.79円/ccであるから、単純にGサイズを買うほうがお得である。したがって、最初に述べたとおり、消費者がGサイズを買った方が消費者も店も得をするのだ。
ドトールではSを買うべきかMを買うべきか
では、この理論は他のコーヒー店でも成り立つのだろうか。ということで、よく利用しているドトール(3カ所)で実証を行うことにした。
ドトールでは、S、M、Lのサイズがある。今回の実証ではアイスコーヒーのSとMの氷を除いた容量を調べ、どちらが消費者にとって、そして店にとってお得なのかを調べた。どの店舗もSサイズは200円、Mサイズは250円である。
【1回目】
S...200円 210cc→0.95円/cc
M...250円 260cc→0.96円/cc
なんと、わずかながらMサイズの方が割高であった。吉本氏の理論はドトールでは通用しないのか...と思いながらも2店目での実証に移る。
【2回目】
S...200円 200cc→1.00円/cc
M...250円 240cc→1.04円/cc
またもやMサイズの方が割高であった。
【3回目】
S...200円 220cc→0.91円/cc
M...250円 270cc→0.93円/cc
やはり3店目でもMサイズの方が割高であった。
我々の実証では、どの店舗でもMサイズの方が割高であった。つまり、消費者はSサイズを選ぶことで得をし、店はMサイズを選んでもらうことで得をするのである。吉本氏の理論では消費者と店の利益は対立しないとのことだったが、ドトールでは当てはまらなかったようだ。(少なくとも今回の調査では)
一般的に、大量に買ったほうが割安であることは、吉本氏の理論が示すとおりである。業務用スーパーが非常に安い値段で商品を提供できるのも大量に仕入れて大量に売っているからである。しかし今回、その「当たり前」のことが成り立たなかったのはなぜか。
もちろん、ドトールが消費者から不当に搾取しようとしているのではないだろうから、その理由はコーヒーの淹れ方にあるのではないだろうか。
結果が示す通り、同じサイズでも店舗によって容量は異なっていた。つまり、Sサイズなら何ccという入れ方をしているのではなく、店員が目分量で入れているのだ。機械が毎回同じ量をコップに注ぐのならば、こういった事態は避けられるのだろうが、店員も人である以上、細かい誤差はどうしても出てしまう。特に店が混雑しているときは効率よく商品を提供しなければならないので、コーヒーを注ぐ時間が比較的短くなり本来の量と変わってしまうことなどはあるかもしれない。
消費行動の行方
消費者としては少しでもお得な商品を買いたいわけだが、上の実証実験のようにいつもコーヒーの容量と値段を比べるわけにはいくまい。(これは、「取引コスト」が過剰になってしまうからでもあるのだが)
それでは、消費者はどのようにして商品を選びとっているのだろうか。
近年の消費活動を語る上で不可欠なものとして、インターネットの普及が挙げられるだろう。Web上にチラシを掲載するスーパーも多く、消費者は新聞を取らなくても特売品がわかる。また、欲しい商品が一番安く売られている店を探すことが出来るサイトもよく利用されている。商品の情報を探すという「取引コスト」がネットの普及によって大幅に下がったことにより、消費者は商品情報を主体的に収集しようとする傾向にあると考えられる。記者も、スーパーのWebチラシはよく利用している。
さらに企業間の値下げ競争が激化した結果、値段だけを商品の選択基準にすることが難しくなっている。どの商品も安くなると、人は何を買えばよいかわからなくなるのだ。そのため、最近の消費者は「安い+α」の商品を求める傾向にある。
例えば、同じ値段の洗剤Aと洗剤Bがあったとしよう。Aの方が環境にやさしい成分で作られているとしたら、消費者はどちらを選ぶだろうか。環境問題がメディアなどでも叫ばれている昨今、消費者も「エコ」や「環境」といった単語から無関係ではいられなくなっている。もはや安いだけの商品では売れなくなっているのだ。
客に商品を提供する店や商品開発をする企業も顧客のニーズを満たしたり、他社の商品との差別化に必死である。店頭アンケートで消費者の意見を集めて商品開発などに活かすなど、消費者の動向把握にも力を入れている。
これから先もインターネットを消費活動に利用する人が増えていくだろう。忙しい人でも簡単に情報を入手できるメリットは小さくない。企業側もインターネットを重要な販売戦略の一環として組み込んでいく傾向を強めるだろう。情報収集のツールとして用いられるだけでなく、ネット通販など消費の場としてのインターネットの役割もますます拡大していくのではないだろうか。
「真に」賢い消費者となるためには
日々の消費活動でお得な商品を選びとるには情報収集が大切である。そのためのツールとしてインターネットは欠かせない。いつも利用している店のHPを見てみれば、Webチラシが見つかるかもしれない。メールマガジンでお買い得情報を送っている店もあるかもしれない。ネット限定のクーポンもあるだろう。しかし、 1円でも安い商品を探すために何時間もパソコンの前に座っていては、「取引コスト」の増大に繋がる。「1円安い商品を見つけるのに費やした時間で他のことをしたほうが有益だった...」なんてことにはならないように気をつけたい。例えば、年収1億円の人はネットでスーパーの商品の値段を調べるようなことはしないだろう。その時間で働いていたほうが実益が出るのだから。
また、今回の調査で吉本氏の理論がドトールで必ずしも妥当しなかったように、一見もっともらしいことが実は違うということがあるかもしれない。インターネット上の情報は情報源が不明確なものも多くあり、単純に信用するわけにはいかない。企業の公式HPでも企業側に不利な情報が見えにくく掲載されているかもしれない。
インターネットには情報が溢れている。だからこそ、その情報を受動的に受け止めていくのではなく、真に有用な情報だけを選びとって入手していく能力がこれからの消費者には求められている。そのためにも、普段から入手した情報が正確なものなのかどうかを確かめる姿勢を身につけることが望ましいといえそうだ。
これは、インターネット上の情報に限ったことではない。友達から教えてもらった情報、本に載っている情報...それらは本当に正しいのか。これは何も、すべてを疑って疑心暗鬼になれと言っているのではない。すべてを鵜呑みにしない姿勢が大事だと言っているのだ。可能な場合には、情報源を確かめてみるのもよいだろう。
いまや情報を制するものが消費を制すると言っても過言ではない。
この記事も、これからの「真に」賢い消費者となるための一助となれば幸いだ。
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