「天狗の山」とミシュラン
ミシュランで富士山と並ぶ三つ星を取ったことで人気急上昇中の高尾山。
今回記者は、東京で唯一のムササビの生息地としても知る人ぞ知るこの山を取材した。
東京中心部の約50キロ西に位置する高尾山は、江戸時代から続く信仰の霊山として、また都民や近県の人の行楽地として広く知られている。
標高600メートルの山中には山岳信仰の対象、飯縄大権現(いづなだいごんげん)を奉る薬王院の建造物が点在し、自然林のなかに深遠な景色を生み出している。
その飯縄大権現の守護者として、招福万来、除災開運や衆生救済のご利益をもたらす重要な役割を持つものとして天狗がいる。高尾山が修験道の道場であることから、勇猛精進し山中を自在に駆け回る修験者(山伏)の姿が空想上の存在であった天狗のように見えたのかもしれない。
また高尾山は紅葉の山、杉の山としても親しまれ、その鳥や草木の種類の多様さから大自然の宝庫と呼ばれることもある。こういった豊かな自然に恵まれているのは、高尾山が暖帯系の常緑広葉樹林と温帯系の落葉広葉樹林の境目にあたるためだ。薬王院の建造物の一つである浄心門の近くには「殺生禁断」の碑があるように、この山は宗教的にあらゆる殺生を厳しく戒められてきた。
戦国時代には小田原北条氏、江戸時代には徳川幕府によって保護されてきた歴史があり、明治時代には皇室の財産である御料林に、また戦後は国有林に定められ、最近では明治の森高尾国定公園に指定されるなど、高尾山の自然は時の権力者や政府によってさまざまな形で守られてきた。
レストランや観光地の格付けで有名なフランスのミシュランが2007年に発行した初の日本版旅行ガイドブックでは、高尾山は富士山と共に三つ星の観光地として選ばれた。
「大都市近郊にもかかわらず豊かな自然に溢れている」ということが理由だそうだ。山頂からは東京の素晴らしい眺めを楽しむことができ、天候に恵まれれば富士山を臨むこともできる。山頂へ向かう手段には徒歩かケーブルカー、リフトがあり、昨年の年間の登山者数は260万人を超え日本一に輝く。
また、大阪の「明治の森箕面国定公園」へとつながる総延長1,697.2kmの長距離自然歩道、東海自然歩道の東京側の始まりにもなっている。
「山ガール」とムササビ
ところで登山する人と言われて想像するのはどんな人々だろうか。
鍛えられたアスリート?
それとも中年夫婦の休日の趣味?定年後の楽しみ?
そうはずれていないだろう。しかし、こと高尾山に関してはそれだけではおさまらない。もう一つの重要な年齢層、それは若者、特に若い女性である。
例えば近年増えている「山ガール」、つまりおしゃれに登山を楽しむ若い女の子たちにとって、登りやすく景色の美しい高尾山は恰好のターゲットとなっている。夏季限定でビアマウントが店を開け、多くのカップルや家族連れ、そして若い女性たちが集まる。そのにぎわいは整理券が必要になるほどだ。様々な年齢層が楽しめる、それも高尾山の魅力の一つだろう。この日も、多数のカップルがビアマウントの周りに集まっていた。
そして、高尾山のもう一つの魅力はムササビだ。
ムササビはネズミ目リス科モモンガ亜科に属する哺乳類の一種で、野臥間・野衾(のぶすま)という異名を持つ。長い前足と後足との間には飛膜と呼ばれる膜があり、飛膜を広げることでグライダーのように滑空し、樹から樹へと飛び移る。実に160m程度の滑空が可能であり、長いふさふさとした尾が滑空時に舵の役割を果たす。
頭胴長27~49cm、尾長28~41cm、体重700g~1500gと、同じくモモンガ亜科に属するモモンガに比べて大柄で、日本にしか生息していない。夜行性で、主に樹上で生活し、種子、果実などを食べる。また大木の樹洞、人家の屋根裏などに巣を作る。
ところでムササビ観察にはある秘密兵器が必要となる。
秘密兵器、それは・・・赤色のライトだ。
夜行性のムササビを観察する際に使用する光は赤色でなくてはならない。普通の光ではムササビを刺激してしまうからだ。
ということで今回は普通の懐中電灯に100均(100円ショップ)で買った赤色セロハンを貼った、スペシャルライトを持参した。
さて、次は巣穴探索だ。これに失敗すれば、ムササビに出会える確立がグンと下がってしまう。なので、ひたすら木に穴が開いてないかをチェック。2本ほど怪しい木を見つけた。ただし、その木の下に糞や食べかすは無かったので、もしかしたらそれは巣穴ではないかもしれないという不安も残る。
なにはともあれ、これで下準備は完了。ここ最近あらゆる方面で運の良さを発揮している記者なら、ムササビに会えるに違いない。そう信じ、あとはムササビが動き出す日の出30分後まで待機する。
辺りがぐっと暗くなって、ヒグラシの鳴き声も止んできた頃、記者は再び動き始めた。右手に秘密兵器を構え、目と耳に全神経を集中させる・・・。
先ほど見つけた2本の木の周りを中心に歩く。歩く。ひたすら歩く。
見つかるのは虫ばかり・・・。ムササビに会うことは出来ないのではないかと、半ばあきらめムードが漂う中、一縷の望みを賭けて少し離れたポイントへと歩いてみた。
どこからか、震えるような鳴き声が聞こえてくる・・・。
ムササビだ!!!
耳の神経を研ぎ澄まし鳴き声が聞こえてくる方向を割り出す。そして、その方向に秘密兵器をGO!!!
見つからない・・・。見つからない・・・。
必死になって秘密兵器を振り回す記者。するとほんの一瞬、赤い光の中にもっと真っ赤な点が映し出された。ムササビの目だ!!!
歓喜に叫びたい気持ちを必死に抑え、その全身を見ようとする記者。
遠い・・・。
ムササビまでの距離が遠すぎる・・・。
秘密兵器でその全身を照らし出すにはあまりにも遠い場所にムササビはいた。
そして、我々をあざ笑うかの様にムササビは消えていった・・・。
その後も我々はムササビを探し続けたが、結局その姿を見ることは叶わなかった・・・。悔しかった・・・。
かわいい物好きオトメンな記者としては、いつか必ずリベンジしてその姿を拝むしかないだろう。
"観光立国"と高尾山
かくして、記者のムササビ観察は失敗という形に終わってしまったわけだが、ムササビが見えなくとも高尾山の魅力は尽きない。登山道を歩きながら周囲に目をやると、深い緑の葉をつけた木々が立ち並ぶ。
樹齢450年で、根がタコの足の様だということからその名を付けられた蛸杉や、天狗が薬王院に参詣する人々を見守る時にその枝に腰かけたと言われる天狗の腰掛杉といった立派な杉。そしてここが東京だということを忘れるほどの柔らかく澄んだ空気。夜になれば遠く華やかに輝く東京都市部のネオンの海が見下ろせる。
高尾山は荘厳な自然と、美しい夜景という一見正反対の美を合わせ持っている。しかしその二つにはともに生命を象徴するという共通点があるのではないだろうか。寺院を巡り、壮大な自然と煌びやかな夜景を見たとき、我々の心はいつの間にかごみごみとした都会の日常を忘れ、澄み渡る。だからこそ高尾山は多くの人々に愛されているのだろう。
近年、日本の観光地の国際競争力を上げようという「観光立国」という考え方が取り上げられている。そのために環境庁が新設されたり法律が制定されたりといった動きがあるが、いまなお課題は多い。世界的な不況で外国人の観光者数が落ち込んだことや、日本人と外国人の目線に大きな違いがあり、サービスが行き届かないことなどだ。そんな中、高尾山は観光立国の先鞭をつける大きな可能性を持っているのではないだろうか。
外国人旅行者が日本で求めるものは、主に日本の文化を感じさせる建造物や独自の自然だ。寺院と壮大な自然を持つ高尾山は日本人だけでなく、外国人旅行者の琴線にも触れる観光地なのである。しかも高尾山にある店の多くはメニューに英語の説明をつけるなど、人々の受け入れ意識も高い。
広い年齢層に開かれた観光地だからこそ、世界に開かれた観光地としても発展する可能性がある。この日高尾山に来ていた外国人旅行者の満足げな顔を見て、その予想は確信へと深まった。
記者は高尾山に赴きまた調べるうちに、そこを訪れる観光客の幅の広さ、そしてその懐の大きさに感じ入った。ビアマウントで酔った人達の騒ぎ声によって、少し風情が失われているのは残念だが、そんな大らかさも、寺院という宗教的な施設を持ちながら、若者も高齢者も日本人も外国人も分け隔てなく集める素地となっているのだろう。多種多様な人々を集めるこの山は、多彩で美しい動植物をも抱えている。はるか昔から守られてきたこの偉大な山を、感謝と尊敬の念を持って登る。そんな休日もなかなかいいものだ。
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