まっ...眩しい。なんてカラフルな世界なのでしょう。日常生活のモノトーンライフからは想像付かないほどメルヘンで、カオティックで、フリーダムな世界。すーごーいー。
会場のラ・チッタ・デッラに足を踏み入れれば、パレード参加者はさまざまなコスチュームに身を包み、そこには異空間が繰り広げられていました。
川崎ハロウィンは今年でついに10年目。10年って、長いですよね。イベントって10年続かせるだけでもなかなか大変な気がします。
会場のラ・チッタ・デッラに足を踏み入れれば、パレード参加者はさまざまなコスチュームに身を包み、そこには異空間が繰り広げられていました。
川崎ハロウィンは今年でついに10年目。10年って、長いですよね。イベントって10年続かせるだけでもなかなか大変な気がします。
参加者に話を聞くと、イベントに対する意気込みの強さが伺い知れました。「毎年夏くらいになると、今年ハロウィンどうしよっかーって考え始めるんですよ」と話すご夫婦や、一年間かけて準備をしてきた青年や、兵庫からはるばるやってきた二人組の女性たち、どうやらこの川崎ハロウィンという行事はこの方たちの中では、毎年の恒例行事となっているようです。
そんなキラキラ輝く参加者の姿を見ていると、自然と「参加したいなぁ」という気持ちが湧いてきちゃいました。それを何故かなーと思い、考えてみたのですが、やっぱり人って非日常を求めてしまうところがありますよね。「お祭り」っていう言葉はやたらと華やかな香り、にぎやかな香り、非日常な香りがします。ぷんぷんします。何か、普段の自分とはまた違う、新しい自分になれるようなドキドキする感じがありますよね。だから、学生って文化祭、体育祭は張り切るし、各地方のお祭りも時期がくるとすごい結束を固めますよね。ハロウィンもお祭りなわけですが、ここで重要なのはやっぱり「仮装」だなぁ、と。非日常どころか、仮装をすることで、一日限りではありますが、全く違う別の自分に変身することができるのです。憧れのキャラクターや、人間にとどまらず犬や猫、果ては架空の生き物、妖精、ゴジラ、スパイダーマン、ダース・ベイダー、たらこ、などなど。言語化できない生き物に化けた方々もたくさんいらっしゃられました。参加者の中では、このイベントを「一年で一回バカになれる日」と呼ぶ方々もおられ、この言葉を聞いたとき、「みんなやっぱりバカになりたいんだなぁ」と思い、感激でした。バカをバカにできないとはこのことです。そして「バカな、奇抜な自分を見てもらいたい」というねじまがった欲望や、そうでなくても「注目してもらいたい」という欲望が人それぞれ心の底に存在するのかも、とひじょーーに興味深かったです。来年はこの熱気に自ら参戦してまみれてみたいな、とこっそり思いました。
そんなハロウィン、日本にはいつ伝わり始めたのでしょうか?はっきりとしたデータは無いのですが、1980年代後半辺りから日本でハロウィンイベントが開催され始めたことが確認されています。少しずつその名を浸透させながら、現代に至っているようです。ハロウィンイベントも各地で盛んになり始め、都内では、原宿表参道、多摩、梅丘、各地でも千葉の佐倉、京都の北山、滋賀の大津などでも開催されています。
しかしこのハロウィン、果たして日本に根付くのでしょうか?最近は、ディズニーランドでハロウィンイベントが定着し始めたり、ハロウィン専門店ができたり、ソニープラザではハロウィンの時期が近づくとオレンジ色のカボチャがゴロゴロ並んだりと、ハロウィンはその存在をじわじわアピールし始めています。
けれどやはり、中には「日本人はただのイベント好きで、アイデンティティが無い」とハロウィンを批判する声も聞こえます。が、日本人がただのイベント好きだからハロウィンがその名を轟かせてきた、と考えるのは少し早計な気もします。人々はハロウィンの何に惹かれているのでしょう。小さい頃は、「お菓子がもらえる」ということが、とても甘くて魅力的なイベントに思えました。けれど今、日本を取り巻いてるハロウィンブームって、さっきも言いましたが「仮装」という行為があってこそですよね(後は単純にオレンジのジャックオランタンが可愛いとか)。だって、川崎ハロウィンにこれほど人が集まるのは「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ!」っていうよりも、「ただ仮装したい」ってのがメインリーズンな気がします。「仮装」という行為、何者かに化ける、という行為を取り入れたお祭りって日本にはあんまり見られません。各地のお祭りにはハッピなどの衣装は存在しますが、ドレスコードも関係なく全く衣装が自由なお祭りはハロウィンくらいです。そこにカギがあると思うのです。子供の頃、自分を魔法使いだと誤解し、いつか理想の自分に変身できるんじゃ、そんな儚い野望を誰しもが一度は持つかと思うんですが(少なくとも私はリアルに自分が魔女の子だと思っていました)、その夢を一日限りだけど現実にできる、そういう魅力が人々を寄せ付けるのかも、と思うのです。日本にコスプレなんてものが存在するのも、そういった、人々に根付く変身したい欲の現れなのかもしれません。こんな感じで、ハロウィンは日本人に望まれる要素が存在したから少なくともある程度の人々に受け入れられ、イベントも各地に広がりつつあるのではないでしょうか。だからといって、ハロウィンが日本の祭りとして不動の地位を占めるか、と聞かれると今はまだ断言する勇気はありませんが。
しかし何であれ、ここまできたハロウィンが、このまま消滅することはないでしょう。川崎に行ってみればわかります。そうなんです。行けばわかります。とにかく行ってみてください。そしてパレードに参加しちゃってください。ダンス・ミュージックに合わせておどるのです。くるくると。回るのです。大通りの中を軽やかに。日ごろの鬱憤も吹き飛びます、きっと。
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