異文化コミュニケーション、この響きには大分慣れましたが、そう一口に言いましてもこれが結構難しい。
私が特にそれを感じたのは、その昔カリフォルニアに短期留学へ行ったときです。
私は基本的に人種や国は関係なく「あなたはあなた」と人を見ようと心がけていますが、やはりある程度の国民性っていうのは存在します。ある日の授業で、結婚相手に求める条件を各人で順位付けしてみようと、先生がいくつか黒板に列挙しました。「経済力がある」、「ビジュアルがいい」、「夢を持っている」など、さまざまな条件があった中、そのひとつに、「神を信じている」という項目がありました。無宗教の私はその項目を位置づけるほどには神に対する特別な意識は無く、最下位にしましたが、クラスメイトの中にトルコから来たイスラム教徒の女の子がいて、彼女は「神を信じている」という項目を一番に持ってきていました。その項目を一番に持ってきているのは彼女だけで、彼女はその結果を見て、少し諦念を含んだような表情で控えめに笑いました。私はそのとき、彼女の中には私が簡単には口に出すことなどできないような強い信念が存在することを感じ取りました。
これまで私は、宗教と聞くと、自身の思考が奪われてしまうのではないかという恐れがあってか、なかなか直に向かい合う気にはなれませんでした。けれどそれでも、私はイスラム教徒の彼女に出会って、単純に彼女と「仲良くなりたい」と思い、そのためには相手に自分を委ねるわけではないけれど、宗教にも慎重に歩み寄り、理解を深めたいと思うようになりました。
前置きが長くなりましたが、今回のテーマは「異文化」です。留学先でのそんな経験もあり、今回の取材はとても楽しみにしていました。
そんなわけで今回お邪魔させていただいたのが代々木上原から徒歩5分のところに位置する「東京ジャーミィ・トルコ文化センター」。閑静な住宅街の中に、立派なモスクが荘厳な佇まいを見せています。これがちょっと面白い風景で、とても目立つ建物であるにも関わらず、何故か周囲になじんでいて、道行く人も特に気にも留めずにモスクの前を通りすぎていきます。
ちなみにモスクというのは、イスラム教の礼拝堂のことです。アラビア語で「ひざまずく場所」を意味するマスジド「masjid」が、イスラーム帝国のスペイン占領でスペイン語に訛ってメスキータ「mesquita」となり、それが更に英語で訛り、モスク「mosque」となりました。
早速取材に伺うため中に入ると、トルコの絵があちこちに飾られ、壁には見事なイスラム模様が描かれています。もうすでに、異国情緒に溢れています。待合室では噴水の水が心地よく響き、館内に広がる透明な空気を震わせています。今回お話を伺ったのはこの施設の代表者のエンサーリー・イエントルコさんです。とても穏やかで優しげな男性でした。
普段、こちらの東京ジャーミィではムスリム(イスラム教徒のこと)の方の礼拝や、日本人の見学者の案内、定期的な講演・シンポジウムなどが行われているそうです。ラマダン(断食月)の期間は120人ほど人を呼んで、盛大に食事会も行われるようです。一般的にラマダンは断食をする期間と思われがちですが、全く食事をしないというわけではありません。日の出から日没までは食事をしないというもので、太陽が沈んでしまえば食事は摂り放題なのです。トルコではラマダンの時期はあちこちで、企業の協賛のもと、無料の食事会が開かれているようです。イエントルコさんが見せてくれた写真には、人々がにぎやかに盛大な食事会を行う様子が写っていました。外国人も関係なく参加できるようなので、ラマダンの時期にトルコへ観光に行けば夕飯には困らないかもしれません。ラマダンが終わると、ラマダン明けのお祭りがあります。親戚を訪ねたり、お墓参りなどを行うそうで、日本でいうお盆に近い期間なのかもしれません。
さて、東京ジャーミィが建築されるに至った経緯に触れると、時代は戦前までさかのぼります。1917年、ロシア革命が起こり、ロシア在住のトルコ人が日本に避難し、定住するに至りました。彼らはやがて1938年、イスラーム礼拝場、東京回教学院を建設します。これが東京ジャーミィの起源です。その後1980年代半ばに老朽化のため解体され、2000年に現在の東京ジャーミィが建設されました。総工費は何と、12億円。中の美術品などはほとんどトルコから直接運ばれたもののようです。
それにしてもなぜ、代々木上原なのでしょうか。例えば周囲にムスリムの方が多いなど、何かイスラム文化と関係がある土地だからかと思い、伺ったのですが、ただ「当時は地価が安かったから」という極めて明白な理由と、用地をめぐって三井、三菱といった日本企業の協賛が得られたから、ということでした。周囲にはムスリムの方が特に多いというわけでもなく、地域に布教ということも特には行っていないということでした。よって、合同礼拝のときは遠くから礼拝に訪れるムスリムの方もおられるようです。このように東京ジャーミィでは、人々にイスラム教を前面に押し出し、積極的に布教するというより、入信したい人がいればそのフォローをするといった形をとっているようです。現在は一ヶ月に三人ほどのペースで入信を希望する人がいるとのこと。あくまで自然な流れの中で、この東京ジャーミィは運営されている、という印象を受けました。
礼拝の時間になり、礼拝堂の中へお邪魔させていただきました。味わい深いアザーンが礼拝堂の中に響きます。アザーンとは、礼拝時間を告げる呼びかけです。この呼びかけがまるで民族音楽のように神秘的で、一気に空気がぴんと張り詰め、神聖な空気に包まれます。ここが日本であることを忘れてしまいそうです。礼拝堂の中では数人のムスリムの方々が、ちらほらと座っています。高い天井を見上げると、繊細で魅惑的なイスラム模様が描かれていて、しばし目を奪われてしまいます。やがて、6人ほどのムスリムの方が前で横並びに座り、何度も何度も礼拝を繰り返していました。彼らが向くほうにはアッラーがおられるのでしょうか。私はその光景を何とも言えない気持ちで見つめていました。なんだか少し、心が引き締められるような感覚でした。
少し話は変わりますが、日本の少子高齢化が進む現代、労働力不足が憂慮され、移民受け入れに関する議論はこの先更に本格化していくことが予想されます。そこでもし、イスラム教徒の人々と共に生活するような未来が訪れれば、日本人はその社会に適応することができるでしょうか。特に価値観の違い、服装や食事、生活習慣の違いは、イスラム教徒の方の話を聞いたり、イスラム関係の本を読んだりするだけでも明白に存在していることが分かります。おそらくその差異に戸惑ってしまう人も出てくるでしょう。移民受け入れに関しては「海外諸国で受け入れている国が多い中、日本だけが孤立している」といった意見や、「社会保険、年金、子供の教育といった社会の体制が整えられていない中、労働力不足ばかり憂いてすぐに移民を受け入れてしまうのは早計ではないか」など、さまざまな角度から賛成意見や反対意見が述べられ、議論されてはいますが、少なくとも今のところは実行に移される兆しはありません。それでももし、近い将来、日本が移民を受け入れる日が訪れたときのために、私たちが今準備できることの一つが、「世界を見る目」なのではないでしょうか。シンプルですが、世界を知り、世界にはまだ自分の知らないさまざまな考え方や生活習慣が存在するということを認識することは、日本が移民を受け入れるか否かに関わらず、今後ますますグローバル化する世界で、少なくとも大切なことのひとつと言えるのではないかと思います。
早速取材に伺うため中に入ると、トルコの絵があちこちに飾られ、壁には見事なイスラム模様が描かれています。もうすでに、異国情緒に溢れています。待合室では噴水の水が心地よく響き、館内に広がる透明な空気を震わせています。今回お話を伺ったのはこの施設の代表者のエンサーリー・イエントルコさんです。とても穏やかで優しげな男性でした。
普段、こちらの東京ジャーミィではムスリム(イスラム教徒のこと)の方の礼拝や、日本人の見学者の案内、定期的な講演・シンポジウムなどが行われているそうです。ラマダン(断食月)の期間は120人ほど人を呼んで、盛大に食事会も行われるようです。一般的にラマダンは断食をする期間と思われがちですが、全く食事をしないというわけではありません。日の出から日没までは食事をしないというもので、太陽が沈んでしまえば食事は摂り放題なのです。トルコではラマダンの時期はあちこちで、企業の協賛のもと、無料の食事会が開かれているようです。イエントルコさんが見せてくれた写真には、人々がにぎやかに盛大な食事会を行う様子が写っていました。外国人も関係なく参加できるようなので、ラマダンの時期にトルコへ観光に行けば夕飯には困らないかもしれません。ラマダンが終わると、ラマダン明けのお祭りがあります。親戚を訪ねたり、お墓参りなどを行うそうで、日本でいうお盆に近い期間なのかもしれません。
さて、東京ジャーミィが建築されるに至った経緯に触れると、時代は戦前までさかのぼります。1917年、ロシア革命が起こり、ロシア在住のトルコ人が日本に避難し、定住するに至りました。彼らはやがて1938年、イスラーム礼拝場、東京回教学院を建設します。これが東京ジャーミィの起源です。その後1980年代半ばに老朽化のため解体され、2000年に現在の東京ジャーミィが建設されました。総工費は何と、12億円。中の美術品などはほとんどトルコから直接運ばれたもののようです。
それにしてもなぜ、代々木上原なのでしょうか。例えば周囲にムスリムの方が多いなど、何かイスラム文化と関係がある土地だからかと思い、伺ったのですが、ただ「当時は地価が安かったから」という極めて明白な理由と、用地をめぐって三井、三菱といった日本企業の協賛が得られたから、ということでした。周囲にはムスリムの方が特に多いというわけでもなく、地域に布教ということも特には行っていないということでした。よって、合同礼拝のときは遠くから礼拝に訪れるムスリムの方もおられるようです。このように東京ジャーミィでは、人々にイスラム教を前面に押し出し、積極的に布教するというより、入信したい人がいればそのフォローをするといった形をとっているようです。現在は一ヶ月に三人ほどのペースで入信を希望する人がいるとのこと。あくまで自然な流れの中で、この東京ジャーミィは運営されている、という印象を受けました。
礼拝の時間になり、礼拝堂の中へお邪魔させていただきました。味わい深いアザーンが礼拝堂の中に響きます。アザーンとは、礼拝時間を告げる呼びかけです。この呼びかけがまるで民族音楽のように神秘的で、一気に空気がぴんと張り詰め、神聖な空気に包まれます。ここが日本であることを忘れてしまいそうです。礼拝堂の中では数人のムスリムの方々が、ちらほらと座っています。高い天井を見上げると、繊細で魅惑的なイスラム模様が描かれていて、しばし目を奪われてしまいます。やがて、6人ほどのムスリムの方が前で横並びに座り、何度も何度も礼拝を繰り返していました。彼らが向くほうにはアッラーがおられるのでしょうか。私はその光景を何とも言えない気持ちで見つめていました。なんだか少し、心が引き締められるような感覚でした。
少し話は変わりますが、日本の少子高齢化が進む現代、労働力不足が憂慮され、移民受け入れに関する議論はこの先更に本格化していくことが予想されます。そこでもし、イスラム教徒の人々と共に生活するような未来が訪れれば、日本人はその社会に適応することができるでしょうか。特に価値観の違い、服装や食事、生活習慣の違いは、イスラム教徒の方の話を聞いたり、イスラム関係の本を読んだりするだけでも明白に存在していることが分かります。おそらくその差異に戸惑ってしまう人も出てくるでしょう。移民受け入れに関しては「海外諸国で受け入れている国が多い中、日本だけが孤立している」といった意見や、「社会保険、年金、子供の教育といった社会の体制が整えられていない中、労働力不足ばかり憂いてすぐに移民を受け入れてしまうのは早計ではないか」など、さまざまな角度から賛成意見や反対意見が述べられ、議論されてはいますが、少なくとも今のところは実行に移される兆しはありません。それでももし、近い将来、日本が移民を受け入れる日が訪れたときのために、私たちが今準備できることの一つが、「世界を見る目」なのではないでしょうか。シンプルですが、世界を知り、世界にはまだ自分の知らないさまざまな考え方や生活習慣が存在するということを認識することは、日本が移民を受け入れるか否かに関わらず、今後ますますグローバル化する世界で、少なくとも大切なことのひとつと言えるのではないかと思います。
情報が溢れ返る21世紀。私も含めて、人はつい目の前にあるものだけを信じてしまいがちですが、メディアの情報を自分なりに噛み砕き、想像力を鍛えることで、少しずつかもしれませんが、世界を見る目というのも養われていくのではないでしょうか。
と、自身に言い聞かせるように綴ってみました。
「異文化」、とりわけ「宗教」のことを考えると、必然的に現代社会の深刻な問題が垣間見えてきて、ついネガティブで重たい気分に陥ってしまうことがあります。本来、自分の知らないことを知ることは好奇心をかきたてられるような刺激的なことのはずなのですが......。
と、自身に言い聞かせるように綴ってみました。
「異文化」、とりわけ「宗教」のことを考えると、必然的に現代社会の深刻な問題が垣間見えてきて、ついネガティブで重たい気分に陥ってしまうことがあります。本来、自分の知らないことを知ることは好奇心をかきたてられるような刺激的なことのはずなのですが......。
しかし、この東京ジャーミィに足を運んだときは、自分の中で宗教に対して抱いていたモヤモヤとしたものが一掃される、というと言い過ぎですが、それを一旦別のところに置いて純粋に新鮮な目でトルコ文化を見つめ、味わうことができたと思います。自ら足を運んだからこそ見えてきたものが確かにありました。先ほど、メディアを通して現実を想像することが大切、と述べましたが、やはり「百聞は一見に如かず」というのはあると思います。東京ジャーミィは自国、日本で異国文化を体験できる貴重な場所だと思います。あまり気負わずに、一度ゆったりと訪れてみてはいかがでしょうか。
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