2002年から始まり今年で8回目を迎えたタイフェスティバル。
例年多くの人々で賑わいを見せるこのイベントを、日タイ修好条約が結ばれてから120年という記念すべき年に取材に行ってきました!
タイフェスティバルはタイ王国大使館により、タイ料理や雑貨などを通して、タイ文化や伝統を身近に感じてもらおうと開催されています。5月12、13日に代々木公園で開催されたタイフェスティバル2007は、なんと来場者数が30万人を超えるという大盛況ぶり!!シートを広げてタイ料理を堪能する人、ステージ前でバンドやショーを楽しむ人、お土産や特産品を買い求める人などで会場は埋め尽くされ、改めて人気のイベントであることを実感しました。
なにはともあれ、呼び物の一つであるタイ料理を取材しようと会場を歩いてみると、どのお店も大盛況。レストランブースの出店は、なんと40を越えています。都内の有名タイ料理店も出ていて、多くのタイの方が働いていました。たくさんのタイ料理がある中、特に人気なのは、有名なトム・ヤム・クンスープやタイの焼きそばパッタイ、タイのラーメンであるバミーナームなど。もちろんタイビールのシンハーも大人気です。これは、直接自分で味わってみるしかないと食べてみたのは、タイのそうめんカノムヂーン。そうめんのような細麺にカレースープをかけて頂くというもので、ピリっと辛い中にもまろやかな後味があり、とても美味しかったです。
ただ、私のド下手リポートのせいで、動画では美味しさが伝わってません(汗)
グルメリポーターの凄さを痛感...笑
会場には料理の屋台だけでなく、雑貨店や青空タイ語教室などもあり、タイの文化を広く感じられるようになっています。タイ語教室の先生にお話を伺うと、近年、多くの日本人がタイ語を学んでいるということでした。日本人のタイへの興味、関心はやはり高いのだと思います。先生だけでなく、会場でインタビューした方でタイに行ったことのある方たちはみな、タイの魅力は美味しい料理、豊かな自然、そしてタイ人の温かい人柄だと口をそろえていました。
そんな大盛況のタイフェスティバルですが、そもそも日本とタイの友好関係はどのように、築かれてきたのでしょうか?
実はタイと日本の交流は、なんと600年もの昔から始まっていたと言われています。当時はタイとの間で交易が行われていて、首都アユタヤには、朱印船でタイに渡った山田長政を頭領とする日本人町もあったことから、両国の関係が密接だったことが分かります。長政はタイの国王から信頼され、第三位の官位も授かっていたと言われています。そうした交流は徳川幕府の鎖国政策により一時は衰退しましたが、明治維新後、互いに国家の近代化を進めていた日本とタイは1887年、「日暹(にちせん)修好通商に関する宣言」により、正式に国交が開かれました。これは明治政府が東南アジア諸国と結んだ初めての修好条約だったのです。
現代でも両国ではさかんに貿易が行われていて、最近ではEPA(経済連携協定)も結ばれました。EPAとは、関税の撤廃などの通商上の障壁を取り除くFTA(自由貿易協定)を核に、さらに経済取引の円滑化、経済制度の調和並びに、さまざまな経済領域での連携強化・協力の促進等をも含めたものです。つまり、日本とタイの間で、更なる貿易の拡大が見込まれるだけでなく、サービスや投資、人の移動などがより円滑になるのです。例えば人の移動については、タイ料理人や伝統文化の指導員の方の日本への入国がより容易なものになっています。
バンコク日本人商工会議所によると、タイ国内にはすでにおよそ7,000社もの日本企業・日系企業が進出しているとされ、日本からタイへの旅行者数も毎年100万人を越えています。一方タイから日本への旅行者数も2006年には前年から5%増えて13万人となり、相互交流が拡大していることが分かります。
修好条約締結から120周年を迎え、これからますます両国の関係は深まるでしょう。またグローバル化が急速に進み、「東アジア共同体」などという構想も語られる今日、タイに限らず、他国と友好関係を築き、互いに協力していくことが不可欠になるのは間違いなさそうです。国際交流の重要性が一層高まる中、私たち一人一人がまずその国への興味を持ち、文化を体感し、民間のレベルでの交流を深めていくという姿勢はますます必要とされるのではないでしょうか。
その意味では、このタイフェスティバルは素晴らしいものでした。タイの料理を楽しみ、音楽や踊りなどの文化に触れ、タイの言葉で挨拶をしてみる。真の国際交流もこんな"草の根"のふれあいから始まる・・そんな思いを新たにした一日でした。
サワッ ディー カー♪
違う国の言葉で話せば、心の「窓」がひらく。
新しい世界が見えて来たとは思いませんか?
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