「阿佐谷ジャズストリート」は1995年に始まり、今年で13回目を迎えた。
95年当時、阿佐ヶ谷はオウム真理教の道場があったことで暗いイメージを持たれていたが、『阿佐ヶ谷の町をジャズで明るく楽しいまちに』を合言葉に企画され、地元の商店街や自治会、小中学校などがイベントの発展を支えてきた。協賛金とパスポート券の収入だけで運営されており、大きなスポンサーなどがついていないのが特徴である。
「阿佐谷ジャズストリート」は「神戸ジャズストリート」や「横浜ジャズプロムナード」と並び、日本3大ジャズストリートのひとつといわれていて、毎年2万人もの観客が訪れる。会場は、阿佐ヶ谷のまち全体に広がっており、JR阿佐ヶ谷駅を中心に駅前の広場、小中学校の体育館、区役所前の広場、ライブハウスなどでジャズのコンサートが行われる。また、商店街をジャズの演奏とともに行進するパレードも見所である。
10月26、27日に開催された今年は突然発生した台風20号の影響で、強い雨が降るなかで行われた。出演者は130組、約800人で阿佐ヶ谷駅周辺の41会場で開催された。残念ながら、雨により中止になった演奏もあった。都内各地での演奏で知られる「東京消防庁音楽隊」もその一つで、「阿佐谷ジャズストリート」初登場の予定で期待されていた演奏だった。悪天候でも多くの人が訪れており、予想以上に会場は盛り上がっていた。
それでは、取材に行った27日のジャズストリートの様子を紹介しよう。
まず、最初に行った阿佐ヶ谷駅南口の噴水広場ではすでに演奏が始まっており、訪れた人々がリズムに乗ってジャズを楽しんでいた。
この会場で演奏を聴いていた男性に話を聞いてみると、「阿佐谷ジャズストリート」には何度か見に来たことがあるそうで、2年前に聴いた高校生バンドの演奏が印象に残っているとのこと。今年も「杉並高校吹奏楽部」の演奏を楽しみにしていたようだが、中止になってしまったので残念だっただろう。男性はプロが演奏するジャズも、高校生や若い人が演奏するジャズもどちらも好きで、このイベントで演奏した若い人たちが将来、プロの演奏者として活躍してくれることを期待しているそうだ。
続いて、杉並区役所に行ってみた。阿佐ヶ谷駅前から区役所に続く中杉通りにはジャズバーがあったり、ジャズの演奏が工務店という予想外の場所で行われていたりして、まさしく"ジャズの町"という印象を受けた。
区役所に着いた時には「杉並第二小学校ウイングバンド」の演奏が始まっており、多くの観客が集まっていた。観客からのアンコールの声にも応え、大変な盛り上がりを見せていた。「杉並第二小学校ウイングバンド」の演奏の前には「都庁スウィングビーツ」の演奏も行われていた。「都庁スウィングビーツ」は1948年に結成された、都庁、23区役所職員からなるビッグバンドである。1996年には浅草アマチュア・ジャズコンテストでグランプリを受賞している実力派だ。
JR阿佐ヶ谷駅から地下鉄南阿佐ヶ谷駅まで続く"パールセンター"と呼ばれる商店街では、ジャズを演奏しながら行進をする一団があった。一団は「ニューディキシーモダンボーイズ」といって、このジャズウォークは「阿佐谷ジャズストリート」の名物にもなっている。
行進がやってくると、近くの店にいたお客や店員が出てきて、物珍しそうに見物したり、写真を撮ったりしていた。ビデオカメラを片手に行進についてまわる人もいた。商店街で店を経営する女性は、毎年のジャズストリートの盛り上がりについて、商店街にとってはいいことであり、普段はジャズをあまり聴かないけれども、このイベントは楽しんでいると語った。
生花店の前では「早稲田ニューオルリンズジャズクラブ」の演奏に足を止めて聴き入る観客が沢山いた。人が道いっぱいに集まっていたため、商店街が通りづらくなるほどだった。学生のバンドがなつかしの名曲を演奏するのは、長年ジャズを聴き続けている人にとっても楽しめるものであり、ジャズを通して世代を超えたコミュニケーションにもなると言うジャズファンもいた。
商店街の精肉店では、"ト音記号"の形をしたソーセージが売られており、ジャズストリート効果で売り上げは上々のようだった。
商店街という場所柄か、町全体で盛り上がっている様子が直に感じられた。
「阿佐谷ジャズストリート」に参加してみて、ジャズというものが意外と敷居の高いものではなく、気軽に楽しめるものだということに気がついた。「阿佐谷ジャズストリート」が全国的に有名な大イベントになりつつある一方で、ジャズによって、演奏者、観客、地元の人々がひとつになって"明るく楽しいまち"を作っていくという、まさしく"手作りのイベント"という形は今後も変わることはないだろう。
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