一つ目の理由は、誤った情報やごまかしは脳科学ブームに限らず社会のあらゆる局面で見受けられるうえ、脳の迷信のほとんどは見え透いたまやかしであることです。脳科学者たちにとってみればそうした見え透いたまやかしは一時的なものに過ぎず、時間がたてば消えてしまうものだと考えられていたためまともに取り合わなかったのです。
二つ目の理由は、見え透いたまやかしであっても、反論するためにはかなりの労力とリスクを必要とすることです。公式に反論を発表するためには、発売されている脳トレ商品やサプリメントを購入し、それこそ科学的にごまかしのない実験を繰り返して効果がないことを証明する必要があります。それだけでもかなりの労力を必要とするのに、逆に相手によって業務妨害などで起訴されてしまうリスクも抱えているのです。
さらに、脳科学者たちが活動する学問の世界と、脳トレブームがおこる市場の世界は全くの別物であり、科学者たちが相手にするものではないという考えもあります。学者たちにとってみれば、脳トレブームが市場でどんな進展をみせようと、脳科学の学問としての進歩には影響することがなく、したがって他人の商売に干渉する必要性も感じないというわけです。
挙げられた理由から、脳科学者にとってみれば、世間にあふれる誤った情報に反論するメリットはほとんどなく、ブームが過熱するなかで生まれてきたさまざまな嘘やごまかしを知りながらも、脳科学者たちが正面から反論することはほとんど行われてこなかったと藤田教授は分析しています。
しかしながら、藤田教授は次のような考えも示しています。脳科学に限らず、科学者はみな、科学の成果と限界が正しく世の中に伝わり、世の中の情報のやり取りが健全に行われることを願っています。そして脳科学者もまた、脳科学の学問としての成果が世の中に正しく広まっていくことを願っているのです。世間にあふれる脳の迷信に反論するべきかどうかは難しい問題ですが、世間に流布された不正確な情報を「脳の迷信」と名付け、先生は自身のホームページ、「脳の迷信 脳のうそ~神経神話を斬る~」(http://www2.bpe.es.osaka-u.ac.jp/ackamaracka/)や各所での講演会を通じて注意を喚起しています。藤田教授自身も「微力」とおっしゃるように、まだまだ規模は小さいものの、脳科学の正しい情報を選びとろうとする姿勢が広がりをみせています。
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今回のセミナーは、世間で正しいと思われていることが実は必ずしもそうではないという性格のもので、参加者にとってみても非常に驚きの大きなものだったと思います。特に今回の参加者の層が主に40代~60代の方だったこともあり、実際に「脳トレ」書籍やゲームソフトを体験したことのある方も多かったようです。参加された方々はどのような感想を持たれたのかをお聞きしました。
40代女性の方からは、あまり科学的な根拠が確認されていないような商品がまるで確認されているかのように装って販売されている現実の社会があらためて恐ろしくなったという感想をいただきました。また、50代女性の方は、セミナーの時間が限られていたこともあり、時間があればもっともっといろんな商品についての藤田教授の見解を聞き、脳科学商品に対しての批判的な見方を養いたかったと話されました。他のセミナーからの紹介で来場された30代の男性の方からは、今回のようなセミナーの形式で、科学と社会との連携や、社会的な認識の誤りを是正するような発表がもっと身近になされていくべきだ、という意見をいただきました。
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さて、こうした取り組みから、私たちは何を考えることができるでしょうか?
藤田教授は多くの反証例を挙げていますが、それは単に、昨今の脳科学ブームが多くの嘘やごまかしを含んだものであり、そのまま信用するに足りないものであるから、簡単に信用しないようにしよう、ということではないと思います。そのまま信用する前にいったん冷静な視点からそれを検討するという態度は、脳科学商品に限ったことではなく、世の中のあらゆる商品に対して必要とされるものでしょう。つまり私たちは、世の中にあふれている情報そのものに対しての姿勢をあらためていかなくてはならないのではないでしょうか。
脳科学の本やゲーム、脳のためのサプリメントのなかには、実際には科学的な効果がほとんど認められないにも関わらず、まるで科学的に実証された効果があるかのように装って販売している会社が存在するうえ、そのような会社は、聞いたこともないような小さなメーカーに限らず、みなさんが知っているような大企業であることもしばしばであることが藤田教授の検証によって分かってきました。これは、有名企業が発売しているからといって、全く疑いもせずにそれを信用してよいということではないということの一つの例なのではないでしょうか。
さまざまな情報が形態を変えて飛び交う現在の社会のなかで、私たちは何が正しいのかを自分で判断する必要が生じてきています。世の中には嘘、ごまかし、勘違いが多く存在します。私たちは、日々到来する情報や物事に対して、自分の眼と思考によって物事の真偽を問い、判断を下していく姿勢を身につけなくてはならないのではないでしょうか。有名な学者がテレビで紹介しているからといってそれが完全に正しいという証明になるわけではありません。著名な新聞に書いてあるからといって正しいと決まったわけでもないですし、反対にインターネット上の雑多な掲示板に書いてあることが間違いばかりというわけでもありません。大切なのは、さまざまなメディアを横断しながら、物事をめぐるさまざまな意見・議論に触れ、自分の最終的な判断を下していくことでしょう。
社会を飛び交う情報に対する、私たちひとりひとりの姿勢が問われているのです。
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